ヒット一本で一塁からホームイン!「伝説の走塁」の裏側に見るデータ野球の重要性
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昨年、NHK-BSで放送されていた『古田敦也のプロ野球ベストゲーム』という番組で、「伝説の走塁」と言われたプレイが勝敗を分けたとされる1987年の日本シリーズ「西武対巨人」の回が印象に残ったので、ご紹介します。
「伝説の走塁」の裏側に見るデータ野球
当時のチーム事情
球界の至宝・王監督が率いる読売ジャイアンツは、チーム打率12球団トップを持つ強力打線。チーム防御率もセリーグトップで、投打にスキがないチーム。
かたや、名将・森監督率いる西武ライオンズはパリーグの最低打率ながら、12球団トップの防御率を誇る投手陣を中心とした守りと足を生かした機動力で勝ち上がってきたチームと、対照的なチームの戦いとなりました。
事前のデータ収集
森監督の機動力野球を具現化したのが伊原コーチで、ジャイアンツの徹底調査を任され、各選手の癖やデータを徹底的に調査しました。
データの中にはピッチャーの牽制球の癖や、キャッチャーの肩の強さ、外野手の返球の特徴ということも入っていました。
初戦でのデータ収集
西武の初戦先発は東尾。
早い回から点を入れられて、点差がついたと見ると作戦を変更し、各打者の長所、短所を見るために、試験的にコースに投げ分け、データ収集に専念しました。
短期決戦とは言え、バッターの好きなコース、苦手なコースをシリーズ序盤でつかんでおくことは、その後の戦い方に大きく影響してきます。
結果、そのデータのおかげで、1戦目で打ちまくったジャイアンツ打線も、2戦目以降は沈黙することとなり、特に駒田と中畑を完璧と言っていいほど押さえることに成功します。
伝説の走塁
その後、相手打線を押さえ込んだライオンズはシリーズを得意の投手戦に持ち込んで、3勝2敗で迎えた第6戦。
2回の攻撃、バッター・ブコビッチの大きなセンターフライで2塁ランナーの清原はタッチアップで長駆ホームインします。
3塁とホームの間でいったん止まってしまったため、清原の暴走と見られていましたが、試合前のミーティングから外野手のクロマティの返球が緩慢というデータから、センターに打球がいったらチャンスということを徹底していたたまものでした。
そして、辻の伝説の走塁につながっていきます。
8回の攻撃、ツーアウトランナー1塁でバッター・秋山のライナー性の打球は、センター・クロマティの前に落ちます。
普通、ヒットエンドランがかかっていない場合だと、センター前ヒットだと2塁か、よくて3塁止まりなのですが、1塁ランナーの辻は、3塁をも回って一気にホームインに成功します。
3塁コーチの役目は、走ってきたランナーを3塁で止めるか、本塁突入かの難しい判断を、打球の方向、強さ、外野手の返球、中継する内野手の位置などを見て決断しますが、その時3塁コーチに入っていた伊原は、クロマティの緩慢な返球と、返球の中継に入ったショートの川相が、バッターランナーを2塁に行かすまいとして、1塁側に振り返った時点で3塁走者が死角になり、気づくのが一瞬遅れたことを見逃さず、本塁突入を決断し、伝説の走塁を実現させました。
試合は、辻の得点がダメ押し点となり、その試合に勝った西武が日本一に輝きました。
まとめ
もちろん、ホームインした辻選手の足の早さも重要ですが、なにより相手選手の癖を含めたデータ収集、その場の状況を判断して本塁突入を指示した伊原コーチの存在なくしては実現しなかったと思います。
このシリーズの結果から、チーム体制も派手な打線を持つチームよりも投手陣を基盤とした守りのチームの方が、最終的に計算できること。
逆にジャイアンツ側から見ると、プレイ一つ一つを着実にこなさないと、付け入るスキを与えてしまうことを教えてもらいました。
仕事に当てはめて言えることは、綿密なマーケティング調査と的確な判断力が、最終的にいい仕事につながり、派手な仕事を目指すより、地道なことを着実にできるチーム作りが最終的には強いのだと思いました。